
読売ジャイアンツで活躍した後、メジャーリーグ(MLB)に挑戦した松井秀喜さん。アジア選手として初めてワールドシリーズMVPを授与されるなど、数々の偉業を成し遂げてきた日本球界を代表するレジェンドです。ゴジラという愛称でも親しまれている松井秀喜さんですが、どのようにして嫁と出会ったのでしょうか。馴れ初めや子供の人数を解説します。
松井秀喜の嫁は美人?
「松井秀喜の嫁は元ホステス」「ニューヨークの高級ピアノバー、うさぎで働いていた」さまざまな噂がネットに流れていますが、これらはデマです。松井さんの嫁である中山愛さんは、大手スポーツ用品メーカー・ミズノで社長秘書を務めていた才色兼備の元OL。
公の場に登場したり、顔を見せたりせず、松井さんを支える完璧なパートナーとして振舞っています。外見はもちろんのこと、内面も美しい人物のようです。それにしても、一般女性の中山さんと、スター選手の松井さんは何をきっかけに急接近したのでしょう。
松井秀喜と嫁の出会い
松井さんは長年にわたってミズノの野球用具を愛用し、もともと同社と浅からぬ縁がありました。そのような中、2006年のオフシーズンに共通の友人の紹介で中山さんと初対面。8歳ほど年齢差があったものの、一目ぼれに近い形で恋に落ちました。一方の中山さんは松井さんと同じく北陸地方出身で、野球用具の知識が豊富だったため、自然と打ち解けたのかもしれません。
出会ってから数カ月後には互いを意識するようになり、2007年に本格的に交際をスタートしたのです。
熱愛発覚
交際開始時、松井さんはMLBのチームであるヤンキースに所属し、ニューヨークが拠点でした。日本在住の中山さんと簡単に会えませんでしたが、国際電話やメールで交流し、関係を深めていきました。世間に熱愛が発覚したのは2007年2月頃。手つなぎデートの現場をフライデーが激写したのです。
松井さんは過去に何度も交際をスクープされ、その度に言葉を濁していました。しかし中山さんとの関係を記者に質問された際には「結婚する時が訪れたら連絡します」と真摯に回答。この時点で2人は将来を真剣に考えていたのではないでしょうか。
ニューヨークでプロポーズ
交際期間中には、中山さんがニューヨークを訪問することも。松井さんは忙しい合間を縫って、彼女と一緒にドライブや食事を楽しんでいました。一緒に過ごすうちに、人柄や振る舞いに惚れこみ2007年9月頃にニューヨークの公園でプロポーズ。その後、中山さんがミズノを退職するなど、結婚の準備を粛々と進め、2008年1月に松井さんの実家で結納が執り行われました
松井さんの実父である昌雄さんは新宗教の一種である瑠璃教会の二代目司教。松井さん本人が宗教色の強さを見せていないものの、中山さんは並々ならぬ覚悟で嫁いだのかもしれません。
2008年に電撃結婚
結婚式を挙げたのは、松井さんが右膝の手術を経てスタメン復帰しようとしていた2008年3月。アメリカの教会に両家の親族が集まり、ひっそりと挙式しました。その2日後、フロリダ州のキャンプ地に結婚発表のための会見場が設けられ、スーツ姿の松井さんが登場。ふだん記者の前で見せない自然な笑みを浮かべ、左手の薬指にティファニーの結婚指輪が光っていました。
直筆の中山さんの似顔絵を見せつつ、「奥さんは周囲への気遣いが素晴らしい女性」と語り、終始デレデレ。その記者会見の様子はアメリカと日本の両国で話題になりました。
松井秀喜の子供の人数は?
松井さんの子供は2人。2013年に第1子となる長男が、2017年に第2子となる次男が誕生しました。結婚時、松井さんが中山さんに対して「マスコミの前に絶対に出さない」と約束をしていたため、子供の顔写真や詳細な情報は公開されていません。家族について言及する機会が少ないものの、2016年にNY紙のロングインタビューで子育て論を明かしていました。
松井さん一家が住むニューヨーク市ブロンクス地区では、日本のように周囲の視線を気にする必要がありません。スター選手が子育てに取り組みやすい環境のため、松井さんは饒舌になったのかも。
長男はバイリンガル
長男は学校で英語を使い、家に帰れば日本語で会話するバイリンガルです。幼い頃から2つの国の言語と文化に触れることで、さまざまな可能性を示していたのでしょう。新米パパ時代の松井さんは「子供の成長が楽しみ」と語り、育児に奮闘。長男が野球に熱中することを望みながらも、本人の意志を尊重していました。
確かに偉大な父の背中を追いかけて、野球の世界に飛び込めば、困難の連続かもしれません。しかし松井さんの現役時代に詳しい野球ファンは、彼の遺伝子を受け継いでいる息子たちに期待してしまいますよね。
まとめ
松井秀喜さんは8歳ほど年下の嫁である中山愛さんと2008年に電撃結婚しました。交際期間が短かったものの強い絆で結ばれ、夫婦関係が円満です。2人の男児を授かり、家族4人で平穏な生活を送っています。
その一方で、日本とアメリカの両国で子供向けの野球教室を積極的に開催し、豪快なフリー打撃を披露。過去の栄光を鼻にかけない人徳者であるため、息子たちも大きな影響を受けているのではないでしょうか。